はちぇは生きています。

ゲルマン夫+可愛い娘の日本暮らしの30代主婦です。パニック発作を乗り越えたけど、出産後に離人症になる。強く生きたい。心が繊細。自分は誰なんだろうとずっと考えている。最近、カサンドラ症候群だと医師に告げられる。

非24時間睡眠障害の夫を受け入れられない

 

現在37歳の夫は18歳の時から

眠る時間が毎日30分ほどずれていく症状があった。

 

私たちが付き合っているころ、

私はそのことに全然気が付かなかった。

 

デートの時間も、宿泊のある旅行も

問題なく出来ていたから。

それに、私たちは当時別々に一人暮らしをしていたから

問題がハッキリ見えていなかった。

夫もそのことについて何も伝えてくれなかった。

 

今思えば、夫なりにとても

努力してくれていたのだと思う。

 

でも…結婚してから

夫は努力をするのをやめてしまった。

 

睡眠クリニックに通っていたけど、

処方されるメラトニンが全く効かないと言って匙を投げた。

睡眠クリニックに行き続けても

お医者様に毎回同じ事を言われ

毎回同じ薬を出されるだけなので

いくだけ無駄、面倒くさくなったようだ。

 

もっと問題について詳しく相談してみたらどうか、

新しいクリニックに転院してみるのはどうか

私も探すのを手伝うと伝えたけど

「全部無駄」のひとことで一蹴にされてしまった。

あんまり私がしつこく話そうとすると夫が機嫌を損ねたので

もうこの話は諦めることにした。

 

結婚してからというもの

 

予定していた出かけ先、旅行…

 

夫の睡眠リズムが合わなくて

行けなかったことも多く発生した。

夫が朝眠っているから、ひとりで出かけることになったことも

無理矢理起こして出かけても、夫は寝不足のため一日中機嫌が悪くてムードが最悪になることもあった。

 

以前はこんな事もなかったのに

予定を立てることがとても難しくなった。

 

なんだか急に虚しくなった。

 

睡眠クリニックに行くことを諦めたから

私が彼をサポートしようと

朝は定刻に起こして、カーテンを開け

朝日を浴びてもらったり

夜はまた定刻に「そろそろ寝る時間だよ」と声をかけた。

ストレスがたまらないように

無理なお願いは避けるようにしたり。

 

私にやれることはこれだけしかなかったけど

現状が改善してくれるなら夫と一緒に頑張りたいと思った。

 

けど、肝心の夫にはやる気がなかった。

 

私が声をかけることも、カーテンを開けることも

寝る時間を伝えることも

 

彼は面倒くさそうに対応した。

 

「こんな事やっても無駄。治るわけがない。

俺は18歳の時から同じことを何度も何度も試したけど

何も改善しなかった。だから、もう諦めるしかない。」

 

彼から出てきた言葉は

「もう諦めたい」だった。

 

もう、諦めるしかないのか?

この生活を受け入れて生きるしかないのか?

 

私は彼以上に絶望してしまったと思う。

 

彼のこの生活リズムにこの先一生

「自分も巻き込まれる」からだ。

 

これから行われる子どもとの行事も、

イベントも、旅行も、2人の時間も

 

夫の睡眠リズムを考慮して動かなければいけない。

もしくは、夫は不参加になることも多くなる。

 

現に今、私はおせち料理を準備し

2024年の元旦の朝に家族でいただくつもりだった。

けど夫は今、夜通し起きていて早朝から夕暮れどきまで眠るリズムになっているため

 

お正月の朝のおせち料理の席に参加することは難しいと言われてしまった。

 

2歳になった娘が、ようやく

お正月について認識し出した初めての元旦。おせち料理

 

パパママ揃って食卓を囲みたかった。

 

このためにおせち料理の準備もしてきた。

 

なのに、私は娘と2人

パパが寝る寝室の横でおせち料理を開ける。

 

「なるべく参加できるように努力はする」

 

と言ってくれたけど寝不足で調子の悪いまま参加してもらうのは申し訳ないので

「大丈夫だよ」と断らせてもらった。

 

…お正月やクリスマス、お誕生日に

パパが参加できない家庭はうちだけじゃないだろう。

 

そう思って気持ちを切り替えた。

 

 

……私は、夫のことを本当に愛しているのか。

本当は愛していないんじゃないかと感じている。

 

愛しているなら、こんな事で落ち込まずに

夫のこと丸ごと受け入れて真っ直ぐ生きていけるだろうに。

 

夫に失望したのは

私の意思や考えを考えてくれずに一人で勝手に

睡眠障害の治療や改善をきっぱり諦める。と決めた事。

(欲を言うなら結婚前にこの件を打ち明けて、相談して欲しかった)

 

それに長い時間巻き込まれる家族のことを

少しは考えてくれただろうか?

不健康な生活リズムを続ける事で

家族を守れなくなってしまうリスクを負っているのに、

「仕方ない、諦める」と匙を投げた事。

 

私たちは問答無用で夫の生活リズムに

合わせる生活が決定してしまった。

 

「話し合い」をせずに

自分ひとりで決めてしまう夫に失望してしまった。

 

一度こうなったら夫はもう私の話を聞いてくれない。

なぜなら、何を話しても結果は同じだから。

 

超・論理的思考の夫らしい。

 

正しいのだけど、せめてそこに

「苦労をかけてごめん。それでも受け入れて一緒に歩んでいってほしい」

というひとことがあれば、私の心もここまで冷め切らなかったのかもしれない。

 

「こう言ってほしい、こう言ってくれたら嬉しい」というのは

夫が嫌う交渉です…。

人に言わされるのが大嫌いなので、拒否されました。

仕方がない。

 

昼になっても、いつまで経っても起きてこない夫。

娘の「パパ、なにしてるの?」の問いかけに

「まだ寝てるんだよ」と伝えること。

 

日中、パパが寝ているときも多く

娘と2人で出かける休日。

周りの夫婦揃ってお出かけしている家族を見て

寂しくなってきてしまう。

 

こんな結婚生活を想像していなかったから。

 

わたしは、夫の事を愛せていないと思う。

 

愛しているなら、そんな事も全て受け入れて

前向きに明るく生きれると思うから。

 

睡眠障害、本人も治せなくて辛いと思ったけど

治そうとしなければ楽になったと言っていました。

本人のペースで睡眠が取れると問題ないみたいです。

 

それを「ああ、本人が楽になってよかった」

 

と思えずに

「自分だけ楽になって卑怯だ」

「一生付き合っていかなきゃいけないのはこっちなのに」

と思う私は心が狭いのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

パニック発作、近所のメイドバーで働く。

大した学歴なし、スキルもなし

パニック発作で10代20代をほとんど棒に振り

何の取り柄もないまま30代になった「はちぇ」です。

今は、主婦をしています。無職です。

 

最近は、就職活動を始めました。

しかし落ちてばかりです。

 

現在、3ヶ月が経ったところ。

 

 

長期的なパニック発作

たくさんの可能性を閉ざしてしまいます…。

 

私の場合、10代のころの家庭と学校の環境からの

強いストレスからでした。

 

大きなストレスを受けた代償は思った以上に長く続き、私を苦しめ続けてきました。

 

 

6年前…

電車通勤をすると息が苦しくなって

会社に着く頃には体力も精神力もすり減ってしまい

業務が手につかない…。

また息が苦しくなってしまう。

自然と涙が出てくる。

 

業務が続かない。

 

周りの方たちが心配そうに声をかけてくれる。

 

 

せっかく希望していた英文事務の仕事につけたのに

電車通勤が息苦しくなるほど辛く、

業務に支障が出てしまうため

泣く泣くその会社を諦めて退職することになりました。

 

就職からわずが1ヶ月のことでした。

 

この時のチャレンジは、儚く終了してしまうのでした。

 

 

地方で一人暮らしをしていた私。

 

たまたま自宅から徒歩圏内にメイドカフェのオープニングスタッフ募集の広告を

ネットで見つけてしまいます。

 

と、いっても「メイドバー」らしい。

営業時間は19:00〜3:00とのこと。

 

んん?

 

これは…

ガールズバーメイドバージョンってやつか!

 

時給は1400円。

当時の私にしたらとても高時給。

 

漫画を読むのも描くのも好き…。

コスプレしてかわいく変身してみたい願望もある…。

何より歩いて通勤できるし…。

もともと夜型だし…。

何より家賃のためにとりあえず働かなきゃ。

 

それに…ちょっと、やってみたい…。

 

その時点で私の年齢は20代中盤に差し掛かっていましたが

今が1番若いんだからやるなら今しかない!

 

とりあえず応募してみる。

 

そしたら何と採用!!

えー!やったあ!!

 

それから…

体調を崩す日もあったけど

週4〜5日の連勤もできるようになった。

 

今まで仕事に通うだけでも苦しく辛かったのに

「仕事に休まず通えてる」っていうだけで

自分の自信になってきた。

 

電車に乗らなければ何とかやっていける…。

お給料も稼げてる。

自立できるようになった…。

 

いつの間にかバイトリーダーにもなった。

責任があって精神的にこたえた日も沢山あったけど

大事な役割を任せてもらえることが嬉しくて

やりがいを持って頑張れた。

 

仕事は「もえもえキュン〜!」とご主人様のドリンクにおまじないをかけたり

お話したり、ゲームしたり。

お酒飲んだり。

ティッシュ配ってお客様を呼び込んだり。

後輩たちにおまじない教えたり。

 

若い女の子たちに囲まれてわいわい働く環境は

青春のようにも感じられて

どこか夢心地で、楽しかった。

 

でも……

 

「これってこの先何の役に立つんだろう?」

「私がやりたかったことって本当にこれ?」

 

そんな不安を頭の片隅に抱えながら

気がつけば1年が経っていた。

 

「英語を扱った仕事に就きたい」

 

漠然とだけどずっとそう思っていた気持ちが捨てきれず

何度もメイドバーを辞めることを考える…。

 

でもまだ定期的に息苦しさは続いていて

夜も眠れず不眠の日も多かった。

まだまだ電車に乗ったり

都心の会社に通える自信がない…。

もうあんな風に会社の人達に迷惑をかけるのは嫌だ。

 

自宅の近くでは、希望の職種にはなかなか出会えなかった。

 

体力がなくって、メイドバーの仕事をするだけでもう体力は限界。

帰宅したらいつも何にもする気が起きず、横になってることが多かった。

 

こんな私に、何が成し遂げられるだろう。

 

仕事を精一杯して、生活費を稼いで

生活費ギリギリだけどひとりで生きている。

 

それだけでも自分を褒めていい。

 

そんなはずなのに、情け無い。

 

本当にやりたいことは、とても遠い。

 

時間が経つにつれて

だんだんやりたい事もよくわからなくなってくる。

 

お金がもっとあれば、都心に住めるのになぁ。

 

それでも日々の生活と、奨学金の返済で

貯金は貯まらない。

 

私服はほとんど古着屋さんで買ったもの。

 

 

本当に、パニック発作が憎かった。

 

何かやろうと立ち上がり意気込むと

ブレーキをかけるように息が苦しくなって

涙が出てくる。

 

強い強いストレスを受けて体が

拒否反応を出しているみたいに。

 

なりたい私に近づこうとするのを

おこがましいと引き留めるかのように。

 

「おまえにはこの程度のことしか出来ない」

 

と宣言されているようだった。

 

メイドさんの仕事は、正直やりがいもあって楽しかった。

周りの女の子たちは可愛いし。

変なお客様も多かったけど、みんな悪い人じゃない。

深夜のテンションはなんだか特別な感じがする。

 

10代の時に全然、青春とは呼べない日々を送ってきたから

だいぶ遅れてしまったけど今さら青春を取り戻したかのようで、楽しかった。

 

でもやっぱりこれがやりたい事じゃない

 

そう思ってメイドバーから退職することを決意した…。